【奴隷への道】大してよくも知らない彼と入籍。それと同時に義実家同居を宣言された。彼の「貯金して新築を建てよう」との言葉を信じて同居を飲んだら、義実家には出戻りコトメがいて
28歳の時、付き合いだしてすぐ遠距離恋愛(しかも海外)になって2年目の彼からメールでプロポーズを受けた。
正直に言うと彼のことは良く知らなかった。
実質付き合ったのは数ヶ月だし、その後は海外生活だから。
でも、何故か「30歳までに結婚したい」と焦っていたのと、しばらくしてから久しぶりに帰ってきた懐かしい彼をみて情が湧いたのか思わずOKしてしまい、あっさり結婚が決まった。
彼は妙に結婚を焦っていて「結婚式は後でいいから先に入籍しよう」ということになり、私も「まぁ、どうせ籍入れるんだし」と安易に引き受けてアッサリ入籍。
結婚は入籍から1年後、ということになった。
そして、新居を探している時、彼が「家賃を節約するために実家で同居しないか?」と言い出した。
それは流石に嫌だったので「せっかく新婚なんだし…」と拒否をしたんだけど、結局、彼に言い負かされて(具体的には金の話)同居することになった。
その代わり、家賃分を貯めて3年で頭金をためて二人で新築の家を買おう、ということになった。
同居も私が一人暮らしで家賃がかかるから、早い方が良いといわれて10月頃に同居が開始。
結婚式は翌年の5月で式まで約半年、という感じだった。
ちなみに、義父は出会う前に亡くなっていて、義母と子連れで戻ってきた義姉と彼と私の5人暮らしになった。
義母はパートをしていて、義姉は無職。
「仕事なかなか見つからないの〜」
「世間って子連れの女には厳しいよね〜」と言いつつ、毎晩のように誰かと飲みに行き、帰りは午前様という生活をしている。
家事一切は私が任された。
義母は週4〜5回、午前中だけの仕事だし、義姉は無職なのに何故私が?と思ったけれど、当時の私は言われた通りにしてしまった。
「これから二世帯が一緒に暮らすんだから、生活費のこときめなくちゃ」という話を彼にすると、「とりあえず出しといて」といわれる。
しつこくその話をしようとすると「お金の話なんて下品だよ?」とたしなめられた。
下品もなにも、何故私が自分の稼ぎを全額ださなくちゃいけないのか?
義母のパートのお金は?義姉の貰っている養育費は?貴方の給料は?というと「母のお金なんて微々たる物。姉のお金は将来のためにおいておきたい。俺のお金は夫婦なんだからどっちから出しても同じ」と何度も言われた。
それでも納得できないまま2ヶ月が過ぎた頃、結婚式場の打ち合わせにいった時にプランナーさんから「もうほとんど決まってますが…」といわれた。
隣に座る彼がしれっと「こないだの土曜日(私が仕事の日)に母と姉と三人で来て色々決めたんだ。ドレスもだいたい決めておいたよ」と言った。
二人の結婚式なのに、何で私の知らないところで全部決めるの!と食って掛かってプランナーさんに止められた。
結局「二人でもう一度話し合う」ということになったけれど、彼は一つも私の意見を採用しなかった。
そして、しばらくして、彼から新婚旅行の話をしたい、といわれた。
新婚旅行は国内でゆっくり…ということをいっていたけれど、母と姉に行かせてあげたいんだ、と…
ポカーンとする私に「母は普段からパートで疲れているし、姉も子育てと仕事が見つからないストレスで大変」だから、らしい。
新婚旅行は二人の旅行でしょ?というと「頼む。二人に行かせてあげたいんだ」と土下座をされた。
自分はここに何しにきたんだろう?
奴隷になるためにきたんだろうか?と一晩中泣いて、翌日夫に「離婚したい」というと、突然彼になぐられた。
一度だけじゃなく二度も三度もなぐられて、そのまま風呂場に引き摺られて「頭冷やせ!」と水シャワーをかけられた。
そしてそのまま彼は風呂場から出て行った。
濡れそぼったまま風呂場からでると、義母と義姉と夫が三人で仲良さそうにコーヒーを飲んでいた。
そしてこちらをむいて「さっさと朝飯つくれ」「オバサンお腹減ったー(笑)←義姉は何故か私をオバサンと呼んだ」「このグズ嫁」と口々に罵った。
その時の私は夫になぐられたのが怖くて、痛くて、泣きながらそれに従った。
ただ、二階だしここじゃシねないからシねるようなマンションにいこう、と決意した。
私の父は高校の頃にシに、弟は仕事で遠方に住んでいるし、母は私の結婚と同時に長く付き合っている男忄生と一緒に暮らしだした。
私には行く場所も無いし、だからといって奴隷生活もつらすぎて無理だった。
シぬしかないと思った。
急いで服を着替え終えて、買い物にいくと家から出て、思いつく一番高いマンションへ向かっている時、たまたま良く行く本屋の店員さんが挨拶してきた。
「おはようございます…あの、大丈夫ですか?」という声で、自分の髪がまだ濡れたままで、しかも服まで濡れていることに気付いた。
「ほっぺたもはれてますし、口のところも切れてますよ?」とかそういう言葉をかけながら、鞄から小さなハンドタオルを出して渡してくれた。
「これ使ってください」って差し出されて、それを受け取った途端、涙が止まらなくなった。
彼と結婚してから誰かに優しくしてもらったのは初めてだ、って気付いて、悔しくて哀しくてどうしようもなくて涙が止まらなくなった。
幸せになるために結婚したはずなのに、何でこんなことになったんだろう…。
店員さんに連れられて、近くの喫茶店に入り、そこでタオルを借りて頭を拭きながら今まであったことを全部話した。
涙が止まらないので何度も中断しながら、それでも根気よく聞いてくれた後、店員さんは女忄生センターを紹介してくれた。
彼女のお姉さんもDV被害で離婚して、一時センターに相談にいっていた、と教えてくれた。
その後はその足でセンターに駆け込んで相談して、結局その夜も彼からのDVを受け、体一つで逃げ出しシェルターというところにお世話になった。
ここら辺は詳細は書いちゃいけない気がするので省かせてもらいます。
シェルターの場所はたとえ身内(母や弟)でも教えちゃいけない、と言われたから詳細はまだ誰にも話してない。
とにかく、たくさんの人のお世話になって、迷惑をかけて、何とか離婚することができた。
今の彼は7年付き合って結婚します。
前の結婚で懲りたわけじゃないけれど、相手のことを良く知った上じゃないと怖くて踏ん切りがつかなかったら7年も付き合ってしましましたw
ということで、長文失礼しました。
勢いで書いたので誤字脱字&見直ししてないので読みにくい部分があったらスマソ。
離婚切り出し〜離婚成立までkwskしてもらえませんか?
どんなドン底でも、どこかに助けが用意されてる。
自分もドン底だったとき助けがあった。
でも、素直に助けを求めなかったことで更に泥沼になったことも。
ご結婚おめでとうございます。ステキなご縁のようですね。
あきらめちゃいけない、シんでもいけない。んだなと思った。
終わってた話でよかった・・・
まだ、途中だったらいたたまれない話だ、
いや。昔でもそうなんだけど。
今度は、幸せになってください。
幸せになりますw
>>557
シェルターに入ってから離婚の話になったんですが、破格の弁護士さん(ほとんどボランティアみたいな価格)を紹介されて、ほとんどを弁護士さんがやってくれました。
私の場合はお金より何より離婚して逃げ出したいのが一番だったので、とにかく離婚届に判子を押してもらえることを最優先にしてもらいました。
話し合いも私一人になることはなく、センターの人なんかが立ち会ってくれて、私は事実確認をするという感じでした。
一応、自分の荷物と残っていた貯金、それとが支払った生活費は全額返してもらえました。
それ以上に慰謝料なんかも頑張れば取れたのかもしれませんが、長引くのが嫌で当座の生活費という名目で多少のお金だけを受け取り終わりにしました。
アフターフォローもあって、離婚が成立したあと付きまとう夫も結構いるらしくて、何度か携帯の方に「変わったことは無いか」「元旦那から連絡はないか」と確認が入りました。
ホント簡単ですみません。
もし何かあったら、是非相談してみてください。
想像以上に頼りになります。
では名無しにもどりますー。